目的もなく向かった新宿の紀伊國屋書店で、気になるタイトルを見つけた。
いくら文章の書きかた本を読んだって、書けないものは書けない。
ここ1年ほど、自分の表現にモヤモヤしていた。自分の書く文章が、おもしろくない。機械的で、説明的で、つまらない。意味を求めすぎて、自分らしさがない。AIかよ、いやAIに失礼かよ。オリジナリティを出したければ「独自の視点」を取り入れろというけど、書けば書くほど「だれが私の話なんて聞きたいんだ?」とツッコミを入れてしまう。キーボードをたたいてはデリートを連打。下書きだけが増えていく。でも、書きたい。
そんなモヤモヤを抱えながら、目にとまった本をめくってみる。
誰でも表現ができる時代になったけど、人から評価されることを恐れて、自分のリズムを出しにくくなっている人も多い。
わたしじゃん。
自分の音が鳴らせなくなっている
なんか、わかる。たぶん鳴らせなくなってる。自分の音を鳴らすってめずらしい表現だけど、なんとなくしっくりきた。
著者のプロフィールを見ると、元チャットモンチーのドラマーで作詞も担当していた高橋久美子さんだった。なるほど。正真正銘、音を鳴らしてきた人だ。わたしも10代のころ、この人の音を繰り返し聞いていた。
なつかしくなって調べてみると、「ハナノユメ」は2006年、「シャングリラ」は2007年、「染まるよ」は2010年にリリースされていたらしい。もう15年以上経っててびっくりした。
インプット過多の弊害
自分の音が鳴らせなくなったのは、いつからだろう?
たぶん1〜2年前から自分の音が「無機質」になっていた。なぜそうなってしまったのか。はじめて立ち止まって考えてみた。
たぶん、文章を上手に書こうとして「文章の書き方」の本をたくさん読んだからだ。ウェブライティングとかUXライティングとか、そういう「型」を学びはじめてから、「こうあるべき」「こうしたほうが読みやすい」みたいな固定観念が強くなっていった。
仕事として記事を書く機会が増えたことも影響していると思う。ここ数年で、書くことはただの趣味から仕事のひとつになった。会社員としての肩書にも、1年前からエディター(編集者)がついている。
読者のために書き方を学ぶのは悪いことじゃない。人の役に立つ、読まれる記事を書きたい。そう考えるのは自然だと思う。むしろライティングや編集によってお金をいただくなら、基本ルールをインプットしておくことは必要だと思う。
でも実際は、自分らしい表現や価値観を確立する前に過度なインプットをすることで、「自分らしい音」はどんどん失われていくのだと思う。さらにわたしは完璧主義。自分の音を鳴らさない方向に、個性をまるくまるく削る方向に突き進んでしまった。
よかれと思って学んだ結果がコレである。八方美人でつまない発信者になってしまい、恥ずかしい限りです。くそう、こんなはずでは。自分の音を鳴らすことにビビっている自分もかっこわるい。ダサいなーと思っています。
でも、それも今日まで(にしたい)。

自分の音を鳴らすトレーニング
自分の音を鳴らせなくなったカッコ悪い自分を変えるために、次のトレーニングをしていきます。
- 日記を書く(ミクロの視点で書く)
- SNSでいいねを求めすぎない
- 文章にも方言を取り入れる(伊勢弁)
- できる限り本心をさらす
- 人の音に触れる(ZINE・文学フリマなど)
- 自分の作品をつくる(日記やモーニングのZINEつくりたいな)
トレーニングといってもストイックにやるわけではなく、「やりたいことをやる」「楽しいからやる」という気持ちを大切にしていきたい。人の目を気にせずあそびまわっていた子どものころのように、自分の音を鳴らすことを楽しみたい。

文章を書くときに、すぐ実践できそうなこと
以下はトレーニングとは別で、今日から意識して改善できそうなこと。この記事を書いているいまも意識しています。
- 日記のようにリアルを書く
- 形容しすぎない(読み手の想像力を信じる)
- 上手に書こうとしない
- 書きすぎない、説明しすぎない
- 伝えたいことの芯をハッキリさせる
- 書いたら音読して、自分の好きなリズムを見つける
仕事でもない限り、SEOとかいったん無視して書きたいと思います。まじめな自分が現れたら、「まじめかよ!」とツッコミを入れてデリートを連打したい。勇気を持って、枠からはみ出す練習をしていこう。
「本当に必要な文章かどうか」を吟味する。音読してみて、美しくないとか、わくわくしないときは、書き過ぎ注意報が鳴っている。ないほうが読み手の想像力を刺激できる、リズムが良くなるものもある(P285)
書きすぎ、説明のしすぎは特に注意。わたしがやりがちなやつです。読者のみなさんを信じて、削れるところはどんどん削っていきたい。

自分の音が鳴らせると、きっとまた書くのが楽しくなると思う。現にいま、いつもより気分よくキーボードをたたいている。自分だけのリズムで、自分だけの音を鳴らせるようになれば、また新しい景色が見えるかもしれない。